「阿寒湖のマリモ」(学名: Aegagropila brownii)は、球状集合体を形成する緑藻で、20世紀前半にその生物量が減少したとされてきましたが、生育状況の変遷を示す定量的なデータはありませんでした。

東北大学、釧路国際ウェットランドセンター、神戸大学、愛媛大学の共同研究チームは、底堆積物に残存するマリモのDNA(環境DNA)を用い、過去200年前から現在に至るマリモの生物量の変遷を明らかにしました。ミジンコの遺骸とDNAを利用して時間経過によるDNAの分解速度を補正する手法を開発して分析したところ、1900年初頭のマリモの生物量は現在の10~100倍も多く、その後の数十年間でマリモの生物量は大きく減少し、阿寒湖周辺の森林伐採による土砂の流入や水力発電の影響による水位変動が、マリモの生育環境に大きな影響を与えたことがわかりました。 また、1950年以降は観光化による阿寒湖の富栄養化が生育状況の回復を妨げていた可能性も示されました。本研究成果は、観光資源としても重要なマリモの保全策立案のみならず、遺骸や化石を残さない生物の過去の生息?生育密度を復元する新たな手法として、生態系の保全や生物多様性の目標設定および再生に活用されることが期待されます。

本研究成果は2025年3月31日に国際誌Environmental DNAで公開されました。

図1. A: およそ100年前の阿寒湖(釧路叢書 ; 第37巻より)、B:阿寒湖のマリモ、C:マリモの藻類細胞(m)と共在している藍細菌(c)、D: ハリナガミジンコ(Daphnia dentifera)の尾爪

ポイント

  • 国の特別天然記念物「阿寒湖のマリモ」の過去の生物量を湖底堆積物に残存するDNA(環境DNA)とミジンコ遺骸を用いて推定しました。
  • 堆積物中のマリモDNAは時間とともに分解し減衰していましたが、同じ堆積物に含まれるミジンコの遺骸とDNAを用いてDNA分解速度を算出して補正する方法を開発した。
  • その結果、120年前までは現在の10~100倍だったマリモの生物量は、20世紀前半の森林伐採や水力発電用取水が著しかった時期に大きく減少し、マリモの生育に土砂流入や水位変動が大きな脅威であったことがわかりました。

研究の背景

阿寒湖(図1A)のマリモ(学名:Aegagropila brownii(注1))は球状の集合体を形成する緑藻類の一種です(図1B)。マリモは1824年にオーストリアの湖で発見されましたが、分子系統地理学的調査により、日本列島を含む極東域で種分化し最終氷期の後にユーラシア大陸を経て欧州に分布を広げたと考えられています。現在、殆どの湖ではすでに絶滅しており、直径30cmもの大きな球状集合体が生育しているのは世界でも阿寒湖だけです。

阿寒湖のマリモは1898年に植物学者川上瀧彌によって発見され、希少性やユニークな形態から、1921年に天然記念物に、1952年には特別天然記念物に指定されました。当時、内務省史蹟名勝天然記念物考査員であった生態学者吉井義次(東北帝国大学教授、日本生態学会初代会長)は阿寒湖のマリモを視察し、1900年初頭には豊富に生育していたが、1950年頃は大きく減少したと記録しています。しかし、マリモの過去の生物量については定量的な情報がなく、かつてマリモがどれほど生育していたか不明でした。

そこで、占部城太郎(東北大学大学院生命科学研究科名誉教授?横浜国立大学総合学術高等研究院客員教授)をリーダーとし、大槻朝学術研究員?大竹裕里恵助教?市毛崚太郎博士課程大学院生(東北大学大学院生命科学研究科)、若菜勇博士(釧路国際ウェットランドセンター阿寒湖沼群?マリモ研究室)、源利文教授?坂田雅之学術研究員(神戸大学大学院人間発達環境学研究科)、加三千宣教授(愛媛大学先端研究院沿岸環境科学研究センター)からなる合同チームは、阿寒湖の湖底堆積物に残存するDNAを手がかりに200年前から現在に至るマリモの生物量の変遷を調べる研究を実施しました。

近年、湖水中には生物から放出されたDNA(環境DNA(注2))が含まれており、湖底堆積物にもかつて生息?生育していた生物のDNAが残存することが示されています。そこで研究チームは、マリモのような柔らかい生物は化石とならないが、阿寒湖の湖底堆積物にマリモのDNAが残存していれば、その量から過去の生育状況が推定できると考え、阿寒湖で調査を行いました。

今回の取り組み

研究チームは2021年7月に阿寒湖最深部 (30m) の湖底堆積物から深さ1mの柱状試料を採集しました。採集した柱状の堆積物は、深い部分から浅い部分へと層別に分取し、鉛やセシウムの放射性同位体を用いた年代推定法や、1856年の駒ケ岳や1739年の樽前山の火山噴火で飛来堆積した火山灰層を用い、およそ250年前から現在に至る堆積物の堆積年代を確定しました。次いで、層別に分取した試料からマリモ(図1B, C)のDNAやマリモ内に生息している藍細菌(共在藍細菌: 図1C)のDNAを抽出し、定量PCRという手法により堆積物に残存しているマリモや共在藍細菌のDNA量を定量しました。

分析の結果、予想通り、阿寒湖の湖底堆積物にはマリモやマリモ内に共在していた藍細菌のDNAが残存していることがわかりました。それらのDNA量は、過去に遡るほど少なく、一方、1950年ごろから徐々に増加しました(図2B, Cの青い点)。阿寒湖では1950年代から観光化により富栄養化が進行し、植物プランクトンが増え(図2A)、透明度が低下しました。得られたマリモやその共在藍細菌のDNA量の結果によれば、富栄養化にともなってマリモは増えており、かつてはあまり生育していなかったことになります。これは、1900年代初頭に視察した吉井義次博士の証言記録と大きく食い違います。この食い違いは、堆積物の中でDNAが徐々に分解するため、過去に堆積したDNA量が大きく目減りしていたために生じたのかもしれません。実際、有機物であるDNAは保存性が低いため、時間とともに分解?減衰している可能性があります。

それを確かめるため、研究チームは阿寒湖に生息しているハリナガミジンコ(Daphnia dentifera)の遺骸についても調査を行いました。ハリナガミジンコの遺骸は湖底に堆積しますが、その尾爪部分(図1D)は、硬い組織であるため、長期間分解されず微小な化石となって保存されます。そこで、堆積物に含まれるハリナガミジンコの微化石を顕微鏡下で計数するとともに、マリモのDNAと同様に、堆積物に残されたハリナガミジンコのDNAについても定量し、微化石の量と比較しました。その結果、ハリナガミジンコの微化石量に対するDNA量の割合は、時間とともに指数関数的に減少していること、すなわちDNAは時間とともに分解していることがわかりました。そこで、ハリナガミジンコの微化石とDNAから得られた、年代経過に伴うDNA量の減衰曲線を用い、堆積物に残存していたマリモDNA量から堆積当初時のDNA量を算出しました。

その結果、1900年初頭までは、マリモやその共在藍細菌のDNA量は今よりも遥かに多く、マリモの生物量は最低でも10倍、最大で100倍ほど多かったことがわかりました(図2B, Cの黒の実線)。また、1950年ごろまでにマリモは大きく減少し、その時期は阿寒湖周囲の森林が伐採されて土砂が流入したり、阿寒湖の流出河川にできた水力発電のための取水により湖の水位が大きく変動したりした時期と一致しました。このようにして得られた傾向は、吉井義次博士の証言とよく一致しており、過去に堆積したDNA量の分解補正が正しく出来たことを示しています。

1950年以後は、集水域の森林は適切に保全され、また水位管理が厳格化されたため、大きな土砂の流入や水位変動はなくなりました。しかし、マリモの生物量は減ったままです。これは、観光化による富栄養化は湖水浄化対策によって改善されたと言われるものの、今なおマリモの生育状況が回復していないことを示唆しています。

 図2. A: 全リン及びクロロフィルaの年間沈降量(湖の栄養状態を示す指標)、B: マリモの年あたりDNA沈降量(相対的な生物量)として表したマリモのDNA量。C: マリモに共在する藍細菌の年あたりDNA沈降量(相対的な生物量)、青点は測定したDNA量、黒線は分解速度で補正したDNA量。B, Cともに、青点は測定したDNA量、黒線は分解速度で補正したDNA量、赤い横線は平均値の95%信頼限界を示す。

今後の展開

2つの大きな進展が期待されます。まず、本研究によりマリモの過去の生物量や減少要因が明確になったことです。特に水位変動や土砂の流入はマリモの生育に大きな脅威となります。近年では、温暖化や水草の侵入、風による打ち上げなど、マリモの減少要因がさらに多くなりつつあります。特別天然記念物としてのマリモは、観光資源としても重要であり、その保全は地域経済の活性化のためにも不可欠です。本研究を契機にマリモのさらなる保全策の進展が期待されます。

もう1つの進展は、化石を残さない生物についても、堆積物に残存するDNA量をプランクトン遺骸を用いて補正することで、過去の生息?生育状況を推定することが可能になったことです。生物多様性の再生や保全には、過去に生息?生育していた生物種やその生物量の把握、さらには現在に至る生息?生育状況の変化や減少要因の解明が不可欠です。本研究で用いた方法は、化石を残さない多くの生物の過去を復元することを可能にし、よりよい自然環境や生物多様性の目標設定や保全策に役立つと期待されます。

謝辞

本研究は、公益財団法人旭硝子財団環境フィールド研究分野発展研究の2021年研究助成により実施されました。旭硝子財団に感謝いたします。

用語説明

  1. Aegagropila brownii:マリモの学名はA. linnaei(分類学者リンネにちなんで、リンネの毛玉という意)とされていましたが、近年の分類学的研究によりAegagropila brownie とするのが適切とされています。遺伝解析によれば、1万年前に終わる最終氷期の後に日本列島を含む極東域から欧州を含むユーラシアに分布を広げたと考えられています。しかし、分布が確認されたユーラシア各地の湖では球状の集合体を作ることは稀のようで、主に糸状の集合体として分布しており、それさえ現在では絶滅し見られなくなっています。なお、球状の集合体はアイスランドの湖でも記録されていますが、集合体のサイズは小さく、生物量も少ないため、絶滅に瀕していると考えられています。

  2. 環境DNA(environmental DNA、eDNA):水や土壌、大気などの環境中に存在する生物由来のDNAの総称です。生物自身が持つDNAは、排泄物や死骸などから環境中に溶け出したり放出されたりします。それらDNAは種によって異なる塩基配列を有しており、その配列を分析し定量することで、その場所に生息している、あるいはかつて生息していた、生物の種類や量を把握することが出来ると考えられています。

論文情報

タイトル

"Reconstruction of marimo population dynamics over 200 years using molecular markers and fossil plankton remains"

DOI

10.1002/edn3.70085

著者

Jotaro Urabe1,2,*, Isamu Wakana3, §, Hajime Ohtsuki1, Masayuki K. Sakata4,?, Yurie Ohtake1,?, Ryotaro Ichige1, Michinobu Kuwae5, Toshifumi Minamoto

*責任著者

掲載誌

Environmental DNA

研究チームの所属
  1. 東北大学大学院生命科学研究科(占部城太郎名誉教授?大槻朝学術研究員??大竹裕里恵助教?市毛崚太郎博士課程大学院生)
  2. 横浜国立大学総合学術高等研究院(占部城太郎  客員教授)
  3. 釧路国際ウェットランドセンター阿寒湖沼群?マリモ研究室(§若菜勇 室長)
  4. 神戸大学大学院人間発達環境学研究科(源利文教授??坂田雅之学術研究員)
  5. 愛媛大学先端研究院沿岸環境科学研究センター(加三千宣教授)

 

? 現所属:北海道大学大学院農学研究院助教

§  現所属:釧路市世界自然遺産推進室推進員

? 現所属:京都大学生態学研究センター助教

研究者